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[Another Side of Tennis] 木曜更新 毎週木曜日発行 無料テニスメルマガ[REC TENNIS EXPRESS]連載 テニスエッセイ

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Scene 106 [18 years after]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 106
[18 years after]

「18年振りに日本に帰って来たんだけど、テニス事情悪いねえ」
カウンターに座るなり奴は話し出す。
奴は単身NYへ渡り、コーチをしながらサテライトを回っていた。
たまに帰って来たりはしてたものの、今回家族と共に生活のベースを東京に戻す事になった。

「引越した家の側のテニスクラブに家族で会員になろうとして行ったら『12才以下はお断り』って言われてさ、仕方なく子供の頃入っていたテニスクラブに行ったら『すいません。今は12才以下の方はスクールしかありません』だってさ。要するに親子でもプレー出来ないんだよ。ガキがコートにいるとチョロチョロして邪魔だって事なんだろうけどさ。こういう時アメリカなら金さえ出せばどうにかなるけど、それもダメなんだもんなあ。考えてみれば俺達のガキの頃のテニス環境って良かったんだな」

と言う訳で奴の家族は今テニス難民。
スクールの事なら多少わかるが、クラブの事はノーケアだったので俺も驚く。
固定資産税、相続税絡みで閉鎖~マンションのお決まりパターンでなくなったクラブを幾つも見て来たから、何とも言いがたいが。

俺はフォアローゼスのジンジャエール割り、奴はさつま白波のお湯割りを呑みながら徐々にほぐれて行き、見知らぬ常連さん達と他愛もない話で盛り上がり出す。
「マルタイラーメン食べたことある?九州でメジャーなラーメン。俺今日初めて食べたんだけどあれ美味いよねえ」
「揖保の糸みたいなやつですよね?僕九州だったから良く食べてましたよ」
「俺も福岡にいた時金がなくて毎日喰ってたよ。スーパーだと二食入りで100円位だもんね」
「俺今日3種類買って来てさ、醤油とんこつ食べた。帰ったら屋台九州味食べようっと」
「バカ違うんだよ。一番ノーマルの黄色い袋のマルタイラーメンって書いてあるのに、紅生姜たっぷり入れて喰うのがいいんだよ。もう丼一面真っ赤になる位にさ」
「牛丼屋で赤丼って知ってる?」
「えーっ知らない」
「ごはんだけ頼んでやっぱり紅生姜たっぷりで赤丼」
「成程ねえ…」
「そうそういつだったかこっち帰って来てて、白金の美術館に行った時甲斐よしひろと会ったよ」
「ま~じ~」
「でかいリモが停まってて誰かと思ったら甲斐だった。周りにいた人とか一緒にいた子なんか『甲斐だ!甲斐だ!』って走って行ってたよ。タッキーニのマッケンローモデルの赤じゃなくて青着ててさ、カッコ良かったよ」

そして今ガラガラの青梅街道を何故か新宿方面に向ってタクシーで帰宅中。
チクショウ!あいつが喋るだけ喋った挙句『眠い』って言うから、終電で帰ったらこの様だ。
腹減ったなあ…コンビニで紅生姜買って、ノーマル・マルタイラーメン・紅生姜版喰って寝るか。

2006.3.6
Hanazono3bangai
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 104 [NO DIRECTION HOME]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 104
[NO DIRECTION HOME]

一時期より足繁く通わなくなったとは言え、本屋とCD屋には良く寄っているつもりだった。

先日何気なくネットを覗いてたら、ダブルプレー/ロバート・B・パーカー。
(ワオッ!スペンサーシリーズの新刊か?!うん?“スペンサー・シリーズの著者が放つ、メジャーリーグ・サスペンス!”おおっ!こいつはスゲエや!えっ?!2005年2月出版??)
何と1年前に出版されていた…。

更に検索して行くと、冷たい銃声/ロバート・B・パーカーとスペンサー・シリーズの新刊が去年の12月に出てた。
慌ててネット上で買う事はせず、本屋へ急いでロバート・B・パーカーのコーナーへ。
(2冊共あった!初版かな…)と本の最後を確認する。
俺は好きな作家の新刊は初版狙い。
幸い2冊共に初版。
ここと吉祥寺南口前の本屋は、他のデカイ本屋で初版が売り切れてても初版が残っている事が多いんだ。

そんな事があって数週間後本屋に入って文庫コーナーをぶらついていたら、メランコリー・ベイビー/ロバート・B・パーカー。
サニー・ランドル・シリーズの新刊!
慌てて手に取り、又本の最後を見る。
2005年11月15日発行の初版。
(何でここまで気付かないかなあ…)と自分が疎くなった気がして来るが、(平積みされる本やCDと俺の感性が合ってた事は殆どないから仕方ない)と気を取り直す。

冷静に考えるとロバート・B・パーカーは、以前はスペンサー・シリーズが年1冊出るだけだったのに、サニー・ランドル・シリーズ、ジェッシイ・ストーン・シリーズと増え、この一年は3冊の新刊を出してる訳だ。
作家という他人が仕事を理解し辛い仕事だが、70才を越したロバート・B・パーカーが質を保つどころか更に高めつつ、創作数を増やして行く姿勢には感服するしかない。

そう言えばもうじき来る60才超のストーンズも、数日前コパで120万人だか200万人のライヴやってたなあ。
数週間前にぶっ飛んでたライヴをかましてた甲斐も50才超。
こうなると今年はディランも観たいなあ。
とりあえず好評で公開延長になった[ノー・ディレクション・ホーム]を観に行かないと。

[テニス]で登録したGoogleアラートが、女子テニス最新世界ランキングを伝えて来る。
杉山愛:26位、浅越しのぶ:56位、森上亜希子:57位、中村藍子:64位、小畑沙織:100位。
その次の記事は杉山選手のドバイでの初戦敗退。

字面や数字の表面的な事だけでなく、彼女達の躍動、落胆が見える気がするが、やはりその努力の量、自分を律する力は俺なんかには想像もつかないんだろうと考える。
全豪での怪我をマイアミで癒し、更にパワーアップしているであろう森上選手に、もし言葉をかけれるなら一言「大変でしたね」、いやっ陳腐に「頑張って下さい」としか言えない気がする。

今も世界のどこかでストイックに自分と向き合っているスペシャリスト達に乾杯!
そして誰が見ていようがいまいが、毎日人生って奴と向き合ってる人達にも乾杯!

2006.2.21
Shibakubochou
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 102 [No.1のバラード]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 102
[No.1のバラード]

2月の1週目の金土日。
3日連続で昼は東京体育館、夜はSHIBUYA O-EASTと通い詰めた。
東京体育館は勿論、[東レPPOテニス]、SHIBUYA O-EASTは甲斐よしひろ[ROLLING CIRCUS REVUE]3days。
えっ?!「仕事しろ!」!?うるせえなあ…This is my Business!

2/3(金)
第1試合でシャラポア、第2試合でヒンギスが共にあっさり勝ち、2/4(土)の準決勝で当たる事が決まった。
他の試合も少し観た後渋谷に向い、道玄坂を登り百軒店からO-EASTへ。

程なくして聴く者を高揚させる様な性急にさせる様なドラムからLiveが始まった。
“この世にお前と 比較できる女は いないと思ってる俺 お前もおもってくれるかい”
カッコイイ…。
終演後、渋谷の賑やかさには混じりたくなく、ホテル街を東急本店側に降り原宿方面に向かい携帯でCall。
「すげえ良かったぜ!ポケ瓶1本軽く空いたよ!」
そのままゴールデン街で盛り上がるものの、後残り2日間を考え地味に終電で帰宅。

2/4(土)
注目のシャラポアvsヒンギス
トーナメント開始前に唯一全席Sold outになっていたこの日。
ラッキーな観衆からはヒンギス復活を望む雰囲気が漂っている。
両選手の入場から緊張感が走る。
ヒンギスは、予測、ポジショニングは勿論、体幹の使い方、二の腕のパワーが以前より格段に良くなっているのが、シャラポアと対戦した事で良くわかる。
コトンと落ちたネットイン同様、シャラポアヒンギスの手中に落ちた。

前日のオープニングに引っかけて、キラー・ストリート(甲斐バンドの1984年のナンバー)を渋谷に向う。
ライヴは又しても素晴らしかった。
この日しか来れないダチは「絶対今日が一番いい!」と自分を納得させていた。
ライヴ中にクラブ内のバーでしこたま呑み、珍しく直帰。

2/5(日)
東レPPO決勝はマスコミの扱い同様、シャラポアvsヒンギスがピークだった様で、ヒンギスデメンティエワに完敗して閉幕。
でも会場内では既に来年のアリーナ特別席の予約が始まっていて、来年もテニス界が盛り上がる気がして嬉しい。
No.1になる、No.1でいる、No.1に戻る、いずれもタフな事だよなあ…と会場を後にする。

まだ明るい円山町を冷やかしで流した後、O-EAST入り。
最終日特有の盛り上がりの中の5曲目、甲斐が唄い出したのは[No.1のバラード]。
“君は手をだせば何でも手に入ったし 大声だして指させば まわりが動いてくれた やる事なす事うまくいって 悦に入ってたよね 両手が見栄と胡坐でいっぱいだった”
最後は“こちとらはとてもうるさいのに どう思う 今の自分を カードでもやってみるかい 明日の運試しにでもさ”と唄い、更に“ははっ”と嘲り笑う、デビューアルバムに入っていたこのアイロニーたっぷりのナンバーが、30年以上走り続けて来たシンガーが今唄うことでポジティブに響く。
過去なんてクソだよな!でも今の俺は一体何者なんだい…。

ゴールデン街で終電迄のつもりが、腰を浮かせた瞬間に入って来たダチと盛り上がり、今西武新宿側で揚げ焼き餃子でビール。
さてそろそろ始発で帰るかな。

2006.2.6
Seibu-Shinjuku
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 100 [ディープ・パープル]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 100
[ディープ・パープル]

“それは誰のせいでもなくてあなたが男で きっと誰のせいでもなくて わたしが女で”

分厚い雲を切り裂く様にいきなり射し込みながらも、分厚い雲を振り払う事は諦めた光の様に響くヴォーカル。
甲斐よしひろが唄う1976年の五十嵐浩晃のカヴァー。

“どうしてむくわれないものが好きつく傷はいつもひと色 そしてこんな旅を 明日から何をたよりに生きるのか そんな事今は はるかに 海のそばがいいの”

曲のタイトルは“ディープ・パープル”。
ふと、「リッチー、お前はもう、パープルのメンバーがやりたいと思う事を一緒にやる事が出来なくなったって訳さ。とすりゃ、後はどうするか、言わなくたってわかるだろうよ」という中学校の頃に読んだディープ・パープルの本の中の、リッチー・ブラックモアが方向性がずれてしまったメンバーに言って来た言葉を自分に向けたシーンを思い出す。

駄洒落でもなんでもない。
“ディープ・パープル”という唄が、ある別離のシーンに俺を引っ張って行った。
別離…好き嫌いなら嫌われていてもどうにかなるが、信じる信じないで信じてもらえない、まして相手を信じられないのなら別れるしかない。

ガキの頃からどこにいても違和感を感じていた。
それはテメエが好き勝手に出来る環境でもそうで、いやむしろ周りが俺に好意的であればある程そうだった。
それはガキの甘えだったのかとも今感じるが。

独りで生きてるつもりの今でも、「お前にあそこは似合わない」「一緒にやろう」と、いろんな奴が声をかけて来る。
そうだな…アンタ等と徒党を組む気はさらさらないが、言ってる意味はわかるよ。
いつの間にか俺も取り込まれちまっているんだよな。
そうそう、「お前は俺を裏切った」と言って来た奴もいたな。
いずれにせよThanks…。

人ってのはどこか優柔不断で、節目節目にかこつけてキッカケってやつを求めている。
バーの片隅や、明け方のタクシーの中、そして有明のプレス席で書いて来たこのエッセイとやらも100本目。
いい節目だ。

曲はガキの頃しか聴かなかったのに、事ある毎に俺の頭の中をかすめて来た言葉が何故又今俺を捉えているのか、良く考えてみるか。
いずれにせよ、一眠りしよう。
こんな酔い方をしてる朝はろくな事がない。

2006.1.22
Gotenyama
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 98 [カセットテープ]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 98
[カセットテープ]

正月開けの3連休。
「3連休全部出勤の終電帰り!何が3連休だ!Fuckin’3連休!」
と電話越しでぼやく中高のテニス部の後輩。
どうせそんなに行く必要もないのに奴の責任感から行ってるんだろうと、中日の夜に電話してゴールデン街に避難させる。
案の定待ち合わせ時間にきっちり合わせて来やがった。

「これさあお年始」
とディランのCDをマスターに渡す。
マスターが前の店にいる時に、120分テープで作った俺のディランベストの受けが良くて、今度はCDでという事になったがCDの80分でディランのベストは…。
結局[BOB DYLAZN’S GREATEST HITS]のVol.13にプラス俺チョイスの4枚と“量”で勝負。
マスターと俺はお互いディランが好きで、東京フォーラムでの観客を前に走らせた[HIGHWAY61]のパフォーマンスの話をするといつでも熱くなるんだ。

今夜後輩と会いそうな気配がした時、ふと(あの店にピッタリの甲斐ベストっていいな)とiTunesでプレイリストを作ってみた。
奴とは高校の時から一緒に武道館に甲斐バンドを観に行ってた間柄。

ディランのベストを渡した後、
「この店にぴったりの甲斐のベスト作ったよ」
と渡したら、マスターが
「これかける前に俺からもお前に聴かせたいのがあるんだよね」

ドッタタ ドッタタとあのイントロ。
「わおっ![HERO]じゃん!何々?!これ?!」
「通りがかった時目についてさ」

某月某夜
「今度甲斐のCD持って来なよ。かけるよ」
とマスター。
「うん。でもさあ全部好きだからCD一枚に納めるの無理なんだよね」

7曲入りのカセットテープのケースを渡された。
A面:裏切りの街角、漂泊者(アウトロー)、ビューティフル・エネルギー、破れたハートを売り物に、B面:HERO(ヒーロになる時、それは今)、感触(タッチ)、安奈のEMIから出てるオフィシャル版。
マスターはサプライズを狙ってB面の[HERO]からかけてくれたって訳だ。
今時カセットって言うのが想いが伝わって来て、何か暖かいよね。

終電で早々に帰るつもりが帰巣本能はどこかに行っちまい、割用のジンジャエールも無くなり炭酸に切替えボトルを追加。
後輩は「ミーハーと言われそうだけど好き」と言う[ビューティフル・エネルギー]が流れて来て嬉しそう。
「甲斐のカセットって持ってないからこれ俺が買い取るよ」
「何かカセット買っちゃうんだよね。いいよ、あげるよ」
結局夜と朝の境目に後輩と2人でタクシーに乗り込んだ。

明けて今、吉祥寺いせや。
いい夜だったなあ。
幸せだぜ。
あいつは今頃デスクで仕事かな。

そう言えば俺等って一応何か打合せするんであの店行ったんじゃなかったっけ?

2006.1.9
Kichijoji
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 87 [感触(タッチ)]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 87
[感触(タッチ)]

離婚の原因は男側、女側共に<性格の不一致・価値観の相違>がNo.1らしい。
「結婚する前にその位わからないのか」って皆言うが、時間の経過ってやつは恐ろしいからな。

天使の様だった女が、一緒に暮らして行くうちに猫撫で声が低い声に変り、生活感たっぷりに偉そうになる。
要するに女らしく可愛いいままにさせてやれなかった男に甲斐性がなかったって事だ。
旦那の定年後、ガキも大きくなっての女からの別れ話、これも男の甲斐性絡みだな。
女も悪いんだろうけど、男が被害者意識に陥るのは何時でもどこでもカッコ悪いから知らん。
まあ男には若い姉ちゃんに浮気して…ってありがちなTVパターンがお似合いだ。

“男は獣のように妖しく 女は悪魔のように可愛い”
“男は獣のようにわがままで 女は悪魔のようにこわがりさ”

俺は差別論者でも何でもないが、男と女は当たり前の様に違うし、役割分担も違うって考える。
男女雇用機会均等法も(何だかなあ)って感じだったが、本当に男でないと女でないと出来ない仕事は、太陽の下でもネオンの下でもそう変っていない。

プロテニス界では、“ウーマンリヴ”なんて言葉が流行ってた頃から、度々男女の賞金格差に対して女子テニス界から抗議が出ていて、1973年にUSオープンが格差撤廃(USオープンに初めて賞金が懸けられたのは1968年だから、USオープンはその歴史の殆どが格差無)。
全豪は1984年からランダムながら撤廃。
そしてフレンチも2006年に撤廃するから、残るはウィンブルドンのみ。
ウィンブルドン側は以前「是正する理由はない」としてたが今後どうなんだろう。

賞金格差がある理由として良く上げられていたのは、男子が5セットマッチなのに対して女子が3セットマッチである点、男子の方がパワーとスピードがある点。
今はテニス云々でなく、スポンサーの判断=どっちが、あるいはどっちも金を出す価値があるか=PR効果はどうか?に尽きる。
シャラポアジャパンツアー”なんて、大阪城ホール、名古屋レインボーホールと来て、有明がもし武道館だったら外タレロッカー並(じゃなくて正しく外タレ!)だが、スポンサーがもっともらしく「男子より女子の優雅さの方がテニスらしい」と言って、女子の賞金を高くする時も来るかもしれない。

で、話は又してもATPの男子ダブルスのルール変更。
ルールを変更した目的は、表向きは有力選手のダブルスへのエントリー促進、大会の円滑な進行だが、賞金のカットという噂もある。
という事は、男子ダブルスは5ゲーム先取だから、通常の3セットマッチの女子ダブルスの方が賞金が高いって理屈になるのか?
全く時代は回る…いや違った、ずっと金を出す奴の都合なんだった。
とは言え金を出す奴等は、大衆にテニスの持つポジティブでピュアなイメージを自分達に重ねて欲しいのは確か。
“金を出す方が偉い”だの“金=汚い”と言った単純な図式じゃあない。
一応五分と五分の関係という事にしておこうや。

“Touch 夜にまぎれて太陽のある場所へ走り続けよう Touch 早くしないと俺たちの愛なんて燃えかすになっちまう”感触(タッチ)/甲斐バンド

テニスも俺達の愛もまだ燃えかすには早いだろ?
まして湿気っちまったHang Fireは勘弁してくれ。

2005.10.23
Yokoami
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 83 [One Man Band]

[Another Side of Tennis]
坂東海

Scene 83
[One Man Band]

「そこに置いてあるの持ってって。香典返し」
「あっそう。Thank You」
無造作に置いてあった青い袋を持って帰る。

途中、小便横丁でビールと餃子で飯を済ませ、部屋に戻って袋を開ける。
iPod shuffle 512MB!
おまけにiTMSのギフトカードに、STONESの財布まで入ってやがる。
おいおい、これじゃ返し過ぎだぜ…と感じながらも、奴のセンス、気遣いに感心する。

奴とは中1の時からの付き合い。
テニス部も一緒だった。
と言っても奴は途中で退部して、文化祭や体育祭なんかの祭り事を動かしてたな。
中1の林間学校で子門真人の[ほねほねロック]を振り付きで踊ってた姿、パッソルを学校の裏に停めて姿、高3の卒業式で式が終るその時に壇上に駆け上がって皆に三三七拍子をさせた姿を思い出す。

その後は’84年、西武球場でのイベントに小山卓治を観に行ったら、RCを観に来た奴が「誰も立ってない小山卓治で立ってる奴がいるから見たらお前じゃん!」って声かけて来たんだよな(この時頭で出た吉川晃司が’81年のM.ジャガーと同じアメフトのユニフォームで出て来て、1発目にRCの[ベイビー!逃げるんだ。]をかましたのに俺は大受けしてた)。

次は’88年シオンのPITで又ばったり。
その時奴が渋谷の美容院で働いているのがわかって、それからは奴の家で呑みながら髪を切ってもらったりしてた。
そして奴が独立してからはガキ共々世話になっている。

緑の多い公園の遊歩道沿いのいい店だよ。
隣のビルはしょっちゅうTVドラマの撮影に使われているらしい。
そこで奴は誰も使わず独りでのんびりやってる。
ガキの学校行事に怪しい髪形で行ったり相変わらずみたいだ。

独りっきりって言えば、音楽事務所をやっててヤキソバンを手がけたりしてる奴、そして独りで一面のテニススクールを切り盛りしてる奴もいる。
全く頭が下がるぜ。

そして今、電話が鳴ってとったら別の中1からのダチ。
こいつとはバンドを組んでたが、今奴は住宅屋。
去年ウチのリフォームをやってもらって、今日は俺が壊しちまった玄関灯の件。

(偶然だなあ…)と何気なくカレンダーを見たら“彼岸明け”。
この間終った墓の工事も他のダチにやってもらったんだ。
他にも俺が行きたいLiveがあれば涼しい顔で最前列を引っ張って来る奴もいる。
皆デカイ組織って訳じゃないが、テメエの会社で踏ん張ってる。

俺はと言えば…“今日も枯葉の街 肩を落として 軽やかに流れ行く風が 道ずれさ 安いオンボロのギター これがおいらの命 数えきれない明日に歌を歌って そうさおいらは 君を探し歩く 愛を奏でながら 街から街へと”吟遊詩人の唄(ONE MAN BAND)/Kai Band

まあ、お前等とずっと付き合って来れてちょびっとだけ幸せだよ。

2005.9.26
Kaikonomori
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 62 [黄金週間]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 62
[黄金週間]

小学校で少年野球を始めて以来ゴールデンウィークを人並みに遊んだ事がない。
中学校からはテニスになったが、いずれにせよゴールデンウィークは春の大会。
大学はテニス部には入らなかったけど、高校で部活を引退してからテニススクールでのバイトを始めていたからレッスン。
そんなんだったから五月病って言葉もピンと来なかった。
好きな事に没頭してれば「苦しい…」=「テメエこの野郎!」だし。

ただテニスで金を得る様になると少し変ったかもしれない。
諺の“仕事しながら歌うのはいい、それは労働に刺激を与える。だが歌うことを仕事とするな、靴の底が鉛のように重くなる”って奴か。
いやっ“3つの子供みたいに欲しがっていたい 次から次に欲しがっていたい 休みてえ朝も 帰りてえ昼も なんとかひとつそこにつなげて”(せっかく生まれてきたからよ /SION)って感じで、弱気になる自分をそんな言葉で笑い飛ばしてるだけだな。

いずれにせよゴールデンウィークに遊んだ事はなく、遊ぼうとした事もない。
結婚してガキが出来てもそれは変らなかった。
街が空いてる平日休みとリゾート地が空いてる時の長期休暇。
それは流れに乗って生きてるだけの大多数のボンクラへの、就職活動する必要がなかった俺の密かな優越感だったんだが、ガキが小学校に上がった事で事情が変りつつある。
「今年こそUSオープン観たいから夏休みが終った後、学校休ませて皆でNY行くかも」とダチに言ったら、「ウチは熱が出たって事にして1日休ませて遊びに行ったら、先生が心配して電話して来て、子供が反省しちゃってトラウマになってそれから休ませられないぜ」
ウチのガキは「今日学校休みだ」って言えばまだ平気で休みそうだけど、確かにガキは奴等の社会ってのを形成しつつある。
渋滞、混雑のない家族でのバカンスはもう無理か…。

まあとにかく五月病になりそうな人は、そうなる前にまずは現状を楽しもう。
仕事では無理なら体でも動かしてみようぜ。
野球やサッカーは今さらメンバーが集まらないだろうから、やっぱテニスだな。
ゴールデンウィークが終るとやばいんだろ?早くコートに出なよ。

“しけた声でこんな夜中 何の電話だい
いつだって 前進しなけりゃあ 世に出なきゃあと
死に物狂いで 戦ってたお前
そんな気力もなえてくるのは 分かるけど
みんな仕事や 見栄や世間のしがらみに
首までどっぷりつかりきり 搾取や企みに
麻痺してる毎日 何かに むしばまれ
少しづつ 自分の夢をすりへらしてる
だけどG0-MEN ぐちってんじゃないよ
G0-MEN 泣きいれるその前に
G0-MEN 走りだすんだぜ
G0-MEN Go Go Go Go 夜をぶっとばせ”
(Midnight Interval/GO-MEN/KAI)

2005.5.3
Arakawa-ku
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 43 [100万$ナイト]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 43
[100万$ナイト]

“早くから、早くから前の方に詰めかけてくれた人達、それから、最後まで後ろで2階で3階で我慢してくれたみんなに感謝してる、ありがとう
今夜のこのコンサートに来てくれた全ての人達と、それから逝ってしまったジョン・レノンのために、隅々まで届く様にやるからね”

1980.12.9、日本武道館、甲斐バンド。
俺はアリーナS44で、彼女とこのMCを聞いていた。
圧倒的な本編からアンコール、そしてダブルアンコール前のMC。
俺達は、ジョン・レノンとは聞き取れなかったが、死んでしまうんじゃないかと思う位体を軋ませて唄う甲斐の姿に何かを感じた。

彼女と高田馬場で別れ、電車の扉にもたれていた俺は窓に写った誰かのスポーツ新聞の見出しを見て凍りついた。
“ジョン・レノン射殺される”
白の10cmのスタックヒールをはいて、青のベッチンのジャケット、赤のサテンのネクタイなんてなりをしてたガキの俺は(Rockな奴は皆殺られる)と辺りを見回した。

12月になるととってつけた様にジョン・レノン追悼Liveが開かれたりする。
そんな中でHOBOS JUNGLEというバンドはジョンの命日の12.8でなく、12.9に毎年追悼Liveをやっていた。
“ジョンが死んだのは日本じゃ12.9だったから…”
そんな優しいこだわりに俺は共感したのを覚えてる。

昨夜たまたま入ったBarで、俺の隣で酒を呑んでた男は、アースの”セプテンバー”が流れる中こんな事を口走ってた。
「プロからジュニアまでアメリカ遠征の拠点となる場所をアメリカに作りたい」
「ジュニア育成には金がいる。大人にテニスの楽しみを教える事で得た金をそれに注ぎ込みたい」
あんたもこだわって生きているんだな。
“タフでなければ生きて行けない。だが、優しくなければ生きる資格がない”
チャンドラーのあの台詞を思い出すよ。
又あの店で会えるといいな。
ただ「お前がエキサイティングになれるのはなんだ」なんて説教はやめてくれ。

1W.72nd Stでジョンが倒れてから24回目のクリスマスが来る。

“12月 街はクリスマス気分 あちこちから想い出したようにジョンの声 そして俺ときたらいつもこのごろになると 何かやり残したようなやわらかな後悔をする”12月/SION

2004.12.18
Dougenzaka
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)

Scene 37 [転石苔を生ぜず]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 37
[転石苔を生ぜず]

「いつもプールで200m歩いて、800m泳ぐんだけど、今日は気分良くて泳ぎ過ぎた」と笑いながらシンガーが話す。
夕方に入りかけた今「まだ働く時間じゃないよね」とも言う。

彼、甲斐よしひろは昨夜武道館で3時間40分、33曲のライヴをやってのけたばかり。
武道館の両翼に延びるウィングを走りながら歌っていた。
デビュー30周年の彼は51才。
でも僕等はその年齢に驚かない。
彼が21才からいきなり51才になったのでもなく、彼が歌い続けて、変化し続けて来たのを見続けて来たから。

「永久に飛んだり跳ねたりは出来ないし、今でさえみっともないと思ったり、ひょっとするともうやめた方がいいんじゃないかって思う事もあるけど、出来るうちにやめるのは愚かしいとも思うんだ。もしおたくがサッカー選手で、肉体的にも恵まれているとしたら、いつかはやめなきゃならない時が来ると思いつつ続けるだろう」
これは四半世紀も前のミック・ジャガーの言葉。
昨年のストーンズ来日公演でも見せた、一都市でシアター、アリーナ、スタジアムと3種類のライヴをする[LICKS WORLD TOUR]で全世界で200万人を動員している最中に彼は60才を迎えた。

そして、シニア・ツアーを回り熱いパフォーマンスを見せるコナーズ、解説席にスーツで座りながらも相変わらずナイーヴな眼光のマッケンローを見ていると、彼等もまだテニスの可能性、そして自分の可能性を信じている事が良くわかる。
そう!ナブラチロワも。

容姿、年齢、要するにどんなバカでも気付く事に僕等はしばられる事はない。
被害者意識に満ちた敗残者、揚げ足取りで勝利者気分の偽善者にはなりたくない。
自分の足でこれからも歩くだけだ。
垂れ流される情報を真に受けやすい人には、ミックのこの言葉を贈ろう。
「表紙が俺の写真なら、中で何を書かれていてもOKさ」

「No.1であり続ける事よりもOnly 1である事が大事だ」と良く人は言う。
でもそれはNo.1になれなかった者の言い訳に聞こえる時がある。
大事なのはパイオニア、オリジネーターである事、そしていつまでも動き続ける事だ。

「転石苔を生ぜず~A rolling stone gathers no moss」
・ 動き続けている者はいつまでも古くならない
・ 一ケ所に落ち着けない者は大成しない

Which?

2004.11.7
Shinagawa
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Scene 30 [Beetles≠Beatles]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 30
[Beetles≠Beatles]

テニスは嫌いだった。
って言うかバカにしてた。
白いフリフリの付いたウェアの女、やたら白い歯の男がニコニコやるもんだと思ってた。
要するに女々しいスポーツだと思っていたんだ。

小学校では当り前の様に少年野球をやった。
チーム名は[Beetles]。
監督から「バンドのビートルズはスペルが違う」と教えてもらったけど良くわからなかった。
ウチから歩いて30秒の所に読売新聞の配達所があったから新聞は読売新聞。
おまけに報知新聞も取ってた。
当然巨人ファンで後楽園まで長嶋・王を観に行った。
テニスは公園で三角ベースをやる時に、落っこってた硬式テニスのボールを「毛ボール」と呼んで使ってた程度の認識だった。
ただ、少年野球の練習が終ると「帰ってワールドビッグテニス観ようぜ!」が合言葉だったのも覚えてる。

そして今夜1982.11.3福岡サンパレス。
「俺達は時々、興奮してネ、時々喜び過ぎて、はしゃぎ過ぎて、悲しみに浸り過ぎて、時々その何かってやつを忘れそうになる。それで、若かった頃、真剣に泣いたり、怒ったり、喜んだりしてたのを懐かしがってネ、いつの頃からか、振りかえりはじめたりする訳です。俺は真っぴらだからネ。28になろうが、29になろうが、30になろうが……目一杯、怒って、泣いてネ、あんな風に純潔にいっときたい。どうも俺が昔からの好きなのは、ギャングとか悪党ばっかりで…やっぱり、マーロン・ブロンドが好きで、ジョン・マッケンローが大好きでネ。目一杯、自分の1番深い大事な気持ちの奥底の部分を、目一杯ぶっつけて、怒ってネ、泣いて笑って、全部出して……生きたいと思うし……。だから俺は今夜を忘れないしネ。」

甲斐ってマッケンロー好きなんだ。
親不孝通りの呑み屋でダチと呑みながら独り考えてる。
去年花園ラグビー場で暴動寸前のLiveをやったりしてたから、ああ言う男臭いスポーツが好きだと思ってたんだよなあ。
でもお行儀のいいテニス界で暴れてるマッケンローを好きなのもわかるなあ。
そっかあ、テニスかあ。

Beetlesだった俺達は毎週日曜の[ワールドビッグテニス]に何で夢中だったんだろう。
海外のスポーツ中継なんて野球でさえ満足に観れなかった時代だったから?
あの頃俺達はエースで四番だった長畑の真似を良くしてた。
少年野球の練習をしてた学校の隣が長畑の家で、奴が「テニス凄いんだぜ!」と言いながら[ワールドビッグテニス]を観せてくれた気もする。
才能のある奴は世間のイメージなんて関係なく自分の本能、嗅覚で本物に辿り着くって事なのか。

よし、テニスやるぞ!
中学でテニス部に入ったダチをバカにしたけど、それは過去だ。
変に色気づいて、男らしさって奴を取り違えてただけだ。
何て言ったって俺は小学校の時に[ワールドビッグテニス]を毎週観てたんだ。
今テニスをやってるそこいらの奴等とは根本的に違うはずだ!
俺はミーハーじゃあない!
小学校から世界のプレーを観てたんだ!
まずはタッキーニのウェア買いに行くけんね!

1982.11.3
Tenjin
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Scene 20 [かけがえのないもの]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 20
[かけがえのないもの]

コナーズの両手打ちバックハンド、ボルグのトップスピン、マッケンローのタッチ、ベッカーのサーブ、エバートのパッシング、ナブラチロワのサーブ&ボレー、グラフのスライス…。
我々は彼等にシンパシーを感じ、同時代を共有している喜びを感じていた。
でも今、彼等の勇姿をコートで観る事は出来ない(ナブラチロワは特別だ)。
我々は誰かがいなくなる喪失感をいつも誰かに託しているんだろう。
大衆はどん欲だ。
でもテニスファンは代りのHERO&HEROINEに拍手を送りながらも、彼等の代りはいない事を感じ、改めて彼等にリスペクトしていると信じたい。

2004.7.5 一人のギタリストがこの世を去った。
あくまでSingerの影に徹したバッキング。
微笑みながら、祈り上げる様な運指とチョーキングで、どこまでも登りつめて行くギターソロ。
そこにいつもいる、そこにいつもあるものがなくなった。

“星のふる夜 ひとりぼっちで あんたのぬくもり 拾い歩く 星のふる夜 ひとりぼっちで あんたの優しさ 探し歩く”この夜にさよなら/Kai Band

大森信和[Kai Band]、安らかに。
合掌。

2004.7.7
Atsugi
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Scene 19 [セルフ・ジャッジ]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 19
[セルフ・ジャッジ]

一、 金持ち以外の人からすり盗ってはならぬ、
二、 人前でわざと転び、抱き起こされるのを利用して盗るなど、汚いわざをしかけてはならぬ、
三、 何人もが共同でわざを仕かけてはならぬ
「鬼平犯科帳」スリの三カ条

こりゃあサッカー選手の大半は鬼平に捕まっちゃうな。
評論家は「技と転ぶ位のしたたかさが必要」と言う。
中田英寿はそう言うプレーがある事を認めつつも「わざと転んだり、痛がったりはしない」と言う。
評論家の言う事なんか、スポーツだろうが音楽だろうがたいていクソだ。
ところで普段TV等で観るテニスの試合には必ず審判がいるが、ジュニアの試合等は審判がいない事が多い。
セルフ・ジャッジ=プレイングアンパイアとでもいったところか。
ルールは至極簡単で「自分のコートのジャッジをする」だけだ。
そして「瞬間的にジャッジし、迷ったら相手に有利に判定する」と言う人間性リトマス試験紙みたいな約束がある。
これがなかなか味のあるところだ。
ジュニアの頃、相手のファーストサーブは迷わず「フォルト」とコールする奴がいた。
俺等はそれをお決まりのギャグとして笑った。
相手は「相手のコールに不平を言うのはスポーツマンシップに反する」と言うもう一つのお約束でぐっと我慢して試合を続ける。
えっ、俺だったら?
そんなの勿論クレームつけるに決まってるじゃないか!
だって「相手のコールに不平を言うのはスポーツマンシップに反する=お互い悪気ないミスはあるんだから」って事だろ?
まあ奴は本能でそうしていて悪気はなかったかもしれないが。

「フェアに戦うなんてまっぴらだ 非難されてもへっちゃらさ 政治家みたいに良心とはおさらばしたのさ 優勝カップと金が欲しいんだ、ベイビー でも控え室に戻るともう一人の俺が泣いてるぜ」WINNING UGLY/ROLLING STONES

わざと転ぶサッカー選手が、ジャッジに迷ったら何てコールするのか見てみたい。

最後にに鬼平犯科帳からもう一つ
一、 盗まれて難儀するものへ手を出さぬこと、
二、 人を殺傷せぬこと、
三、 女を手ごめにせぬこと
「鬼平犯科帳」盗賊三カ条

STOP KILL!THE WORLD WILL NEVER BE THE SAME/Kai Yoshihiro

2004.7.4
Shin-yurigaoka
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Scene 17 [いちごみるく]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 17
[いちごみるく]

雨が降り出すか否やコートにカバーをかけるボールパーソン。
ウィンブルドンで良く見かける光景。
それでも、一年でもっともいい季節らしい。
1982年、ウィンブルドン開催中の6月25日、雨のウェンブリーでのLiveでミック・ジャガーは「Fuckin’cold!Shit!ロンドンは最悪の街だぜ!」と叫んだ。
この年のウィンブルドン男子決勝はコナーズvsマッケンロー。
ウィンブルドン男子決勝史上最長の試合をコナーズが制して、最後のウィンブルドン優勝を飾り、女子はナブラチロワが6連覇をスタートさせた年。
ウィンブルドンだけを見れば華やかだが、ロンドンは暗くて湿った印象がある。
あの時と比べて失業率は半分以下になったが、街はどうなっているんだろう?
とは言え、ウィンブルドンはウィンブルドン。
村上龍の次の言葉は、悔しいけど全てを言い表している。
「ここはすべてのテニス愛好家にとって、聖地である。芝の美しさはたとえようもない。疑いなく、テニスの権威と伝統はウィンブルドンで守られており、真のチャンピオンはここからしか生まれない。」

ウィンブルドンと言えば[ストロベリー&クリーム]。
芝生だけでなく、深緑に統一された施設に赤い苺と白いクリームが良く似合う。
でも場内では名物だけあって高いので、地元の人達はスーパーで買って持ち込んで食べているらしい。
ピムズと言うリキュールにキュウリ、ミント、バジルを入れたソーダ割も名物。
「イギリス人はキュウリのサンドイッチが好き」とは言うが、酒にキュウリ…。

さて、知ったかぶってここまで書いて来たが、ウィンブルドンの事なんか全く気にしなかった年がある。
1986年ウィンブルドン本選初日の6月23日から6月27日迄の5日間、俺は毎晩武道館に行き、29日は黒澤フィルムスタジオに行った。
それはあるバンドのFinal Liveで、Liveの後は浴びる様に酒を呑み、27日は新宿にぽっかり空いてた空き地、都有5号地(現都庁)で朝を迎えた。
Singerは終わりのないかの様な心地良い16ビートのカッティングに合わせて、
「LOVE MINUS ZERO 俺から愛をひけば LOVE MINUS ZERO二人から愛をとればゼロ」ラヴ・マイナス・ゼロ/Kai Band
と唄い、ステージから去って行った。

あのクールで熱い歌はウィンブルドンに合ってるかもしれないな。
今夜はあの曲をバックに流して、いちごみるくでも舐めながらTV観戦しよう。

1986年ウィンブルドン優勝者は、調べてみたらベッカーとナブラチロワだった。

2004.6.21
Tanashi
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Scene 14 [小さな恋のメロディ]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 14
[小さな恋のメロディ]

大学を出てすぐに高1から付き合っていた彼女と結婚した。
周りは「早すぎる」と言ったけど、その人達は以前「6年も付き合ってていつ結婚するんだ?」と言ってたし、そのうち「遅すぎる」と言い出しただろう。

中1からテニスを始めて、何とか関東学生に出れる位になっていた僕はもう少し選手生活を続けたくて、先輩がいるテニススクールでアルバイトコーチをしながらトーナメントを回っている。
ラケットやシューズはメーカーが提供してくれている。
「選手層が厚いアメリカじゃ本当のトップじゃないと用品提供なんかしてもらえない。日本のテニス選手は恵まれすぎてハングリー精神が足りない」なんて話も聞くが、その通りだとも思う。
「選手、コーチと言えばカッコイイが要するにプータローだ」と親は言う。
今26歳。
トップ選手にはなれないけどJOPの上位なら何とかなる年齢だ。

テニススクールでは皆に大事にされ必要とされているのを感じる。
負ければそこにいる理由がこれっぽっちもないトーナメント会場とは大違いだ。
大金を稼ぎたい訳じゃあないが、家族のことを考えるとつい(もう選手は諦めてコーチ一本に絞ろうかな…それとも堅気になろうかな…)と考えてしまう。
実際、生活の中心がレッスンになっている気もする。

彼女はずっと応援してくれている。
義父母達は「早く諦めさせなさい」と言っているんだろう。
いつも微笑んでくれている彼女には勿論感謝している。
ただ子供が産まれてから僕達は確実に不安を感じている。

この間、ダウンタウンが司会をしている歌番組を見ていたら赤いロングジャケッ
トを着た男がこんな歌詞を唄ってた。
“家族とか未来は重荷かい”Teenage Lust/Kai Band
子供の笑顔を見ると全てが報われた気がするけど、たまらない気持ちにもなる。

それでも、いつまでなんて考えたりはしない。
永遠にこの生活が続く訳じゃないのもわかっている。
でも期限付きの青春ごっこにはしない。

1996.10.12
Kudanshita
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Scene 1 [REBEL WITH A CAUSE]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 1
[REBEL WITH A CAUSE]

ここに二枚のモノクロ写真がある。
どちらも場所は雨のN.Y. タイムズ・スクエア。
同じアングル。
二枚の写真の主役は違う。
それぞれ違う男が黒いコートを着て雨の中傘もささずに歩いている。

一枚の写真は誰でも一度は目にした事があるかもしれない。
男は煙草を噛み肩をいからせコートから爪先まで黒尽くめだ。
ジェームス・ディーン。
「理由なき反抗」
世の中の不条理に抗う様にあっと言う間に逝ってしまった。

もう一枚の写真の男は白いNIKEを履いている。
モノクロ写真の中でそれは目を引く。
表情は悲し気で静かな怒りをたたえている。
しかし誰かを憎んでいる様には感じられない。
男の名はジョン・マッケンロー。
写真には[REBEL WITH A CAUSE]と言う文字が入っている。

なるほどな、と思う。
「理由なき反抗」の原題は[REBEL WITHOUT A CAUSE]
やり場のない怒り、孤独、絶望。
「銀幕の中泣き顔の ジェームス・ディーンのように
今が過去になる前に 俺たち走り出そう」[HERO]Kai Band

ここで映画でなく古いテニスのビデオを回して見る。
1980年、1981年のウィンブルドン男子シングルス決勝。
どちらもボルグvsマッケンロー。
タイブレーク18-16を演じながらボルグの五連覇を許した1980年。
そして歓喜の1981年。
言うまでもなくテニスは孤独な闘いだ。
そこでマッケンローは自分に怒り、失望し、もがいている。
ボルグのパッシングに飛びつき転倒して、うつむきながら起き上がる悲し気な表情。
ポイントを獲れなかったからでなく、自分にがっかりしている。

奴はいつでも自分と向かい合っている。
だから自分を許せない。
間違った事をする相手を許せない。

「欲しい物が、いつでも手に入るとは限らないさ。そんな道理は、オレにだって、だれにだってわかっている。けれどコートに立った瞬間、オレは道理とか、確率とか、賢さとかは、かなぐり捨てちまうのさ。いつだって、どんな時だって、オレは100パーセントのパーフェクトマッチを目指すんだ。
勝つとか、負けるとかじゃない。勝つだけでは不十分なのだ。オレは、1球のミスもない、完璧なプレーをやりたいんだ。やりたくてしょうがない。どうしてもパーフェクトにやってやるんだという烈しい火がオレの中で燃え上がる。オレはそういう自分を抑えることが出来ない。でもオレは好きなんだぜ、そういうのって。道理や理屈は、言われなくたって、わかっている。第一、「ほしいものがいつも手に入るとは限らない(ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウォント)」ってのは、オレの一番好きなストーンズのナンバーなんだ」-J・マッケンロー(※講談社[カモン・マッケンロー]より抜粋)

[REBEL WITH A CAUSE]、理由ある反抗
全くだ…。

2004.2.12 Midnight
Bar[buttercup]にて
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