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Scene 43 [100万$ナイト]

[Another Side of Tennis]
坂東 海

Scene 43
[100万$ナイト]

“早くから、早くから前の方に詰めかけてくれた人達、それから、最後まで後ろで2階で3階で我慢してくれたみんなに感謝してる、ありがとう
今夜のこのコンサートに来てくれた全ての人達と、それから逝ってしまったジョン・レノンのために、隅々まで届く様にやるからね”

1980.12.9、日本武道館、甲斐バンド。
俺はアリーナS44で、彼女とこのMCを聞いていた。
圧倒的な本編からアンコール、そしてダブルアンコール前のMC。
俺達は、ジョン・レノンとは聞き取れなかったが、死んでしまうんじゃないかと思う位体を軋ませて唄う甲斐の姿に何かを感じた。

彼女と高田馬場で別れ、電車の扉にもたれていた俺は窓に写った誰かのスポーツ新聞の見出しを見て凍りついた。
“ジョン・レノン射殺される”
白の10cmのスタックヒールをはいて、青のベッチンのジャケット、赤のサテンのネクタイなんてなりをしてたガキの俺は(Rockな奴は皆殺られる)と辺りを見回した。

12月になるととってつけた様にジョン・レノン追悼Liveが開かれたりする。
そんな中でHOBOS JUNGLEというバンドはジョンの命日の12.8でなく、12.9に毎年追悼Liveをやっていた。
“ジョンが死んだのは日本じゃ12.9だったから…”
そんな優しいこだわりに俺は共感したのを覚えてる。

昨夜たまたま入ったBarで、俺の隣で酒を呑んでた男は、アースの”セプテンバー”が流れる中こんな事を口走ってた。
「プロからジュニアまでアメリカ遠征の拠点となる場所をアメリカに作りたい」
「ジュニア育成には金がいる。大人にテニスの楽しみを教える事で得た金をそれに注ぎ込みたい」
あんたもこだわって生きているんだな。
“タフでなければ生きて行けない。だが、優しくなければ生きる資格がない”
チャンドラーのあの台詞を思い出すよ。
又あの店で会えるといいな。
ただ「お前がエキサイティングになれるのはなんだ」なんて説教はやめてくれ。

1W.72nd Stでジョンが倒れてから24回目のクリスマスが来る。

“12月 街はクリスマス気分 あちこちから想い出したようにジョンの声 そして俺ときたらいつもこのごろになると 何かやり残したようなやわらかな後悔をする”12月/SION

2004.12.18
Dougenzaka
KAI | 投稿者 坂東海 00:01 | コメント(0)| トラックバック(0)
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