2005年09月29日
Scene 83 [One Man Band]
[Another Side of Tennis]
坂東海
Scene 83
[One Man Band]
「そこに置いてあるの持ってって。香典返し」
「あっそう。Thank You」
無造作に置いてあった青い袋を持って帰る。
途中、小便横丁でビールと餃子で飯を済ませ、部屋に戻って袋を開ける。
iPod shuffle 512MB!
おまけにiTMSのギフトカードに、STONESの財布まで入ってやがる。
おいおい、これじゃ返し過ぎだぜ…と感じながらも、奴のセンス、気遣いに感心する。
奴とは中1の時からの付き合い。
テニス部も一緒だった。
と言っても奴は途中で退部して、文化祭や体育祭なんかの祭り事を動かしてたな。
中1の林間学校で子門真人の[ほねほねロック]を振り付きで踊ってた姿、パッソルを学校の裏に停めて姿、高3の卒業式で式が終るその時に壇上に駆け上がって皆に三三七拍子をさせた姿を思い出す。
その後は’84年、西武球場でのイベントに小山卓治を観に行ったら、RCを観に来た奴が「誰も立ってない小山卓治で立ってる奴がいるから見たらお前じゃん!」って声かけて来たんだよな(この時頭で出た吉川晃司が’81年のM.ジャガーと同じアメフトのユニフォームで出て来て、1発目にRCの[ベイビー!逃げるんだ。]をかましたのに俺は大受けしてた)。
次は’88年シオンのPITで又ばったり。
その時奴が渋谷の美容院で働いているのがわかって、それからは奴の家で呑みながら髪を切ってもらったりしてた。
そして奴が独立してからはガキ共々世話になっている。
緑の多い公園の遊歩道沿いのいい店だよ。
隣のビルはしょっちゅうTVドラマの撮影に使われているらしい。
そこで奴は誰も使わず独りでのんびりやってる。
ガキの学校行事に怪しい髪形で行ったり相変わらずみたいだ。
独りっきりって言えば、音楽事務所をやっててヤキソバンを手がけたりしてる奴、そして独りで一面のテニススクールを切り盛りしてる奴もいる。
全く頭が下がるぜ。
そして今、電話が鳴ってとったら別の中1からのダチ。
こいつとはバンドを組んでたが、今奴は住宅屋。
去年ウチのリフォームをやってもらって、今日は俺が壊しちまった玄関灯の件。
(偶然だなあ…)と何気なくカレンダーを見たら“彼岸明け”。
この間終った墓の工事も他のダチにやってもらったんだ。
他にも俺が行きたいLiveがあれば涼しい顔で最前列を引っ張って来る奴もいる。
皆デカイ組織って訳じゃないが、テメエの会社で踏ん張ってる。
俺はと言えば…“今日も枯葉の街 肩を落として 軽やかに流れ行く風が 道ずれさ 安いオンボロのギター これがおいらの命 数えきれない明日に歌を歌って そうさおいらは 君を探し歩く 愛を奏でながら 街から街へと”吟遊詩人の唄(ONE MAN BAND)/Kai Band
まあ、お前等とずっと付き合って来れてちょびっとだけ幸せだよ。
2005.9.26
Kaikonomori
坂東海
Scene 83
[One Man Band]
「そこに置いてあるの持ってって。香典返し」
「あっそう。Thank You」
無造作に置いてあった青い袋を持って帰る。
途中、小便横丁でビールと餃子で飯を済ませ、部屋に戻って袋を開ける。
iPod shuffle 512MB!
おまけにiTMSのギフトカードに、STONESの財布まで入ってやがる。
おいおい、これじゃ返し過ぎだぜ…と感じながらも、奴のセンス、気遣いに感心する。
奴とは中1の時からの付き合い。
テニス部も一緒だった。
と言っても奴は途中で退部して、文化祭や体育祭なんかの祭り事を動かしてたな。
中1の林間学校で子門真人の[ほねほねロック]を振り付きで踊ってた姿、パッソルを学校の裏に停めて姿、高3の卒業式で式が終るその時に壇上に駆け上がって皆に三三七拍子をさせた姿を思い出す。
その後は’84年、西武球場でのイベントに小山卓治を観に行ったら、RCを観に来た奴が「誰も立ってない小山卓治で立ってる奴がいるから見たらお前じゃん!」って声かけて来たんだよな(この時頭で出た吉川晃司が’81年のM.ジャガーと同じアメフトのユニフォームで出て来て、1発目にRCの[ベイビー!逃げるんだ。]をかましたのに俺は大受けしてた)。
次は’88年シオンのPITで又ばったり。
その時奴が渋谷の美容院で働いているのがわかって、それからは奴の家で呑みながら髪を切ってもらったりしてた。
そして奴が独立してからはガキ共々世話になっている。
緑の多い公園の遊歩道沿いのいい店だよ。
隣のビルはしょっちゅうTVドラマの撮影に使われているらしい。
そこで奴は誰も使わず独りでのんびりやってる。
ガキの学校行事に怪しい髪形で行ったり相変わらずみたいだ。
独りっきりって言えば、音楽事務所をやっててヤキソバンを手がけたりしてる奴、そして独りで一面のテニススクールを切り盛りしてる奴もいる。
全く頭が下がるぜ。
そして今、電話が鳴ってとったら別の中1からのダチ。
こいつとはバンドを組んでたが、今奴は住宅屋。
去年ウチのリフォームをやってもらって、今日は俺が壊しちまった玄関灯の件。
(偶然だなあ…)と何気なくカレンダーを見たら“彼岸明け”。
この間終った墓の工事も他のダチにやってもらったんだ。
他にも俺が行きたいLiveがあれば涼しい顔で最前列を引っ張って来る奴もいる。
皆デカイ組織って訳じゃないが、テメエの会社で踏ん張ってる。
俺はと言えば…“今日も枯葉の街 肩を落として 軽やかに流れ行く風が 道ずれさ 安いオンボロのギター これがおいらの命 数えきれない明日に歌を歌って そうさおいらは 君を探し歩く 愛を奏でながら 街から街へと”吟遊詩人の唄(ONE MAN BAND)/Kai Band
まあ、お前等とずっと付き合って来れてちょびっとだけ幸せだよ。
2005.9.26
Kaikonomori
2005年09月22日
Scene 82 [ようよう]
[Another Side of Tennis]
坂東 海
Scene 82
[ようよう]
コートにブラシをかけてた。
「テニスやってたんですか?」
俺と年格好がそう変らない男が声をかけて来た。
若く見えるけど40位だろう。
「コートでブラシかけてるんだから当たり前だろう」
とは言わず、「ええ、ガキの頃にちょっと」と答える。
奴が「テニスやってたんですか?」と“過去形”で、しかもコートでブラシをかけてる最中の俺に聞いてきたのも当たり前だ。
俺はヘルメットにニッカボッカ。
ここには足場のバラしに来てる。
一つ能書き垂れておくとニッカボッカって呼び名は、ニッカーボッカーズって言うオランダの膝下で留める半ズボンから来てるらしい。
「若い人に“コートの中に入るんじゃねえ”って言って、ベースラインの後ろ通らしてるし、おまけに今のブラシのかけ方もただかけてるんじゃなくて、最初から最後迄止めないからすぐわかりましたよ。レッスンに気を使ってもらってありがたかったです」
親方から言われた現場はデカイ大手スーパー。
屋上の看板工事の足場のバラシ。
着いてみたら屋上にはテニススクール。
俺等がバラしてる真下でレッスンが始まる。
気にしてる暇はないが、ボールを打ってない時は皆がこっちを見てるのがわかる。
20前半だろうか、やたら一生懸命で活き活きとボールを追いかけて、デカイ声で客を励ましてるコーチがいる。
昼飯に行く前に一服してると、レッスンが終っても独りでサーブを打ってたさっきの元気のいい兄ちゃんがコートから出て来た。
「暑いっすね!いつ迄っすか?」
「今日バラしたのを明日あんたらの営業前にコートを横切って向こうに出して、クレーンで降ろして終りかな」
なんて会話をしてたら、思わず「1球打たせてくれない?」と口走っていた。
「いいっすよ」と兄ちゃんが貸してくれたラケットを持ったら軽い軽い。
“俺が試合出てた頃はみんなウッドでさあ、プリンスがデカラケを出したばかり…”なんて言いそうになったが、それは口にせずコートで兄ちゃんと向かい合う。
「行きますよ」と兄ちゃんがサーブを打って来る。
明らかに手を抜いてくれてるが、ちゃんと返せないって言うか飛ばない。
ラケットの性能も上がっているんだろうに。
ウチの若いのがニヤニヤこっちを見てる。
何回か打っても埒が明かないんでもう終りにしようと、「ねえっ、思いっ切り打って!」と言う。
「はい!」と打ち込んで来たサーブは速ええのなんの。
当たるどころか動けもしやしねえ。
そんな昨日があっての今朝。
資材を出すのに手間取って、レッスンの頭に食い込んじまった。
何とか球が飛び交う前に大まかには終ってホッとしてたら、残った資材を慌ててコートの中を横切って運んで行く若いのをテニス部の部長だった時みたいに怒っちゃって、俺等が通った辺りのコートの砂が気になってブラシをかけてた訳だ。
最後の確認を終えて出て行こうと何気なくコートを振り返ったら、俺と同じ位のコーチが黙礼をしてくれて、奥のコートで兄ちゃんが手を挙げてる。
何か気分いいじゃねえか。
2005.9.16
calcium
坂東 海
Scene 82
[ようよう]
コートにブラシをかけてた。
「テニスやってたんですか?」
俺と年格好がそう変らない男が声をかけて来た。
若く見えるけど40位だろう。
「コートでブラシかけてるんだから当たり前だろう」
とは言わず、「ええ、ガキの頃にちょっと」と答える。
奴が「テニスやってたんですか?」と“過去形”で、しかもコートでブラシをかけてる最中の俺に聞いてきたのも当たり前だ。
俺はヘルメットにニッカボッカ。
ここには足場のバラしに来てる。
一つ能書き垂れておくとニッカボッカって呼び名は、ニッカーボッカーズって言うオランダの膝下で留める半ズボンから来てるらしい。
「若い人に“コートの中に入るんじゃねえ”って言って、ベースラインの後ろ通らしてるし、おまけに今のブラシのかけ方もただかけてるんじゃなくて、最初から最後迄止めないからすぐわかりましたよ。レッスンに気を使ってもらってありがたかったです」
親方から言われた現場はデカイ大手スーパー。
屋上の看板工事の足場のバラシ。
着いてみたら屋上にはテニススクール。
俺等がバラしてる真下でレッスンが始まる。
気にしてる暇はないが、ボールを打ってない時は皆がこっちを見てるのがわかる。
20前半だろうか、やたら一生懸命で活き活きとボールを追いかけて、デカイ声で客を励ましてるコーチがいる。
昼飯に行く前に一服してると、レッスンが終っても独りでサーブを打ってたさっきの元気のいい兄ちゃんがコートから出て来た。
「暑いっすね!いつ迄っすか?」
「今日バラしたのを明日あんたらの営業前にコートを横切って向こうに出して、クレーンで降ろして終りかな」
なんて会話をしてたら、思わず「1球打たせてくれない?」と口走っていた。
「いいっすよ」と兄ちゃんが貸してくれたラケットを持ったら軽い軽い。
“俺が試合出てた頃はみんなウッドでさあ、プリンスがデカラケを出したばかり…”なんて言いそうになったが、それは口にせずコートで兄ちゃんと向かい合う。
「行きますよ」と兄ちゃんがサーブを打って来る。
明らかに手を抜いてくれてるが、ちゃんと返せないって言うか飛ばない。
ラケットの性能も上がっているんだろうに。
ウチの若いのがニヤニヤこっちを見てる。
何回か打っても埒が明かないんでもう終りにしようと、「ねえっ、思いっ切り打って!」と言う。
「はい!」と打ち込んで来たサーブは速ええのなんの。
当たるどころか動けもしやしねえ。
そんな昨日があっての今朝。
資材を出すのに手間取って、レッスンの頭に食い込んじまった。
何とか球が飛び交う前に大まかには終ってホッとしてたら、残った資材を慌ててコートの中を横切って運んで行く若いのをテニス部の部長だった時みたいに怒っちゃって、俺等が通った辺りのコートの砂が気になってブラシをかけてた訳だ。
最後の確認を終えて出て行こうと何気なくコートを振り返ったら、俺と同じ位のコーチが黙礼をしてくれて、奥のコートで兄ちゃんが手を挙げてる。
何か気分いいじゃねえか。
2005.9.16
calcium
2005年09月15日
Scene 81 [Rough Justice]
[Another Side of Tennis]
坂東 海
Scene 81
[Rough Justice]
部屋に戻って[A Bigger Bang]をかける。
Keithの空ピックからのイントロのリフだけでぶっ飛ぶ。
“Rough Justice=ひでえ報いだよな”とMickが唾を飛ばす。
Ronnieのスライド、Charlieの太鼓も凄い。
音を消したTVじゃプロレス。
HERO’Sっていう団体だか、興行らしい。
山本 “KID”徳郁いいなあ。
宇野薫と所英男が戦った後お互いに敬意を示す態度に、“強い者同士”の清々しさを感じて思わず酒が進む。
須藤元気が背中を見せながら相手の攻撃をかわすのを観て、(こいつ勇気あるなあ…。トリックなんかじゃないぜ)と感心する。
氷を取りに行ってる間に、画面には山本 “KID”徳郁と須藤元気と肩を組み、カメラマンに見栄を切る前田日明が映っていた。
(あれっ!?前田じゃん!?そっかあ、だからいいFightばかりだったんだ!)と納得。
俺は別にプロレスファンって訳でもないんだが、一時期、前田日明のリングスの試合を追いかけていた。
奴のFight、そして奴の打つ興行は信頼出来た。
横浜アリーナでのカレリンとの引退試合は遠くの席で観た。
曲は“Driving Too Fast”。
足が勝手にビートを刻む。
奴等がライヴで演ってる姿が浮かぶ。
全くなんてカッコイイんだ。
独り浮かれながら、夕刊を読んでない事に気付いてパラパラと捲る。
“シャラポア「全米4強」”、その下に小さく“杉山、混合も敗退”。
先を読むと、“ペトロワ握手拒否”。
何でもシャラポアとの試合の後の握手を拒否したらしい。
さっき宇野薫と所英男の気持ちいいFightを観た後だけにがっかりする。
(テメエ、試合に勝ってても握手拒否したんだろうな!)と怒りが持ち上がる。
それに対して記事は“両者の意地が伝わって来た”と締めくくられていた。
(話題になりゃあ何でもいいんだな、こいつ等は…)
そんな夜もあって今は9月12日未明。
アガシとフェデラーの決勝が始まった。
今1st、キープキープで1オール。
アガシと、1998年札幌のホテルのTVで観てたU.S.Openのコナーズの勇姿がだぶる。
1991年U.S.Open、ノーシードでベスト4に進んだコナーズを思い出している人も多いだろうな。
「数日前仕事で行ったN.Y.のBarで隣を見たら誰がいたと思う?アガシだぜ!アガシ!」
聞き伝えの話だが、U.S.Openの最中にBarでグラスを傾けるアガシ。
(噂好きな連中の為に言っておくと、横にグラフはいなかったってよ。)
俺の中で勝手に、BarのBGMは“Streets Of Love”。
MickのファルセットがBarに静かに流れてる。
2005.9.12
Hachioji
坂東 海
Scene 81
[Rough Justice]
部屋に戻って[A Bigger Bang]をかける。
Keithの空ピックからのイントロのリフだけでぶっ飛ぶ。
“Rough Justice=ひでえ報いだよな”とMickが唾を飛ばす。
Ronnieのスライド、Charlieの太鼓も凄い。
音を消したTVじゃプロレス。
HERO’Sっていう団体だか、興行らしい。
山本 “KID”徳郁いいなあ。
宇野薫と所英男が戦った後お互いに敬意を示す態度に、“強い者同士”の清々しさを感じて思わず酒が進む。
須藤元気が背中を見せながら相手の攻撃をかわすのを観て、(こいつ勇気あるなあ…。トリックなんかじゃないぜ)と感心する。
氷を取りに行ってる間に、画面には山本 “KID”徳郁と須藤元気と肩を組み、カメラマンに見栄を切る前田日明が映っていた。
(あれっ!?前田じゃん!?そっかあ、だからいいFightばかりだったんだ!)と納得。
俺は別にプロレスファンって訳でもないんだが、一時期、前田日明のリングスの試合を追いかけていた。
奴のFight、そして奴の打つ興行は信頼出来た。
横浜アリーナでのカレリンとの引退試合は遠くの席で観た。
曲は“Driving Too Fast”。
足が勝手にビートを刻む。
奴等がライヴで演ってる姿が浮かぶ。
全くなんてカッコイイんだ。
独り浮かれながら、夕刊を読んでない事に気付いてパラパラと捲る。
“シャラポア「全米4強」”、その下に小さく“杉山、混合も敗退”。
先を読むと、“ペトロワ握手拒否”。
何でもシャラポアとの試合の後の握手を拒否したらしい。
さっき宇野薫と所英男の気持ちいいFightを観た後だけにがっかりする。
(テメエ、試合に勝ってても握手拒否したんだろうな!)と怒りが持ち上がる。
それに対して記事は“両者の意地が伝わって来た”と締めくくられていた。
(話題になりゃあ何でもいいんだな、こいつ等は…)
そんな夜もあって今は9月12日未明。
アガシとフェデラーの決勝が始まった。
今1st、キープキープで1オール。
アガシと、1998年札幌のホテルのTVで観てたU.S.Openのコナーズの勇姿がだぶる。
1991年U.S.Open、ノーシードでベスト4に進んだコナーズを思い出している人も多いだろうな。
「数日前仕事で行ったN.Y.のBarで隣を見たら誰がいたと思う?アガシだぜ!アガシ!」
聞き伝えの話だが、U.S.Openの最中にBarでグラスを傾けるアガシ。
(噂好きな連中の為に言っておくと、横にグラフはいなかったってよ。)
俺の中で勝手に、BarのBGMは“Streets Of Love”。
MickのファルセットがBarに静かに流れてる。
2005.9.12
Hachioji
2005年09月08日
Scene 80 [真夏の葬列]
[Another Side of Tennis]
坂東 海
Scene 80
[真夏の葬列]
今からこの夏二回目の友人の親父さんの葬儀に行く。
去年は七月に二人の男を見送った。
“真夏の葬列”という言葉がふと浮かぶ。
北方謙三の小説のタイトル。
自分をフラットにしたい時、北方謙三の[檻]、ロバート・B・パーカーの[初秋]を読んだり、デ・ニーロの[タクシー・ドライバー]、M・ディロンの[アウトサイダー]を観る事が多い。
今夜は[真夏の葬列]を引っ張り出して読もう。
「いい学校に入って、いい会社に入って」の時代に育った俺等は、流れに身を任せて行くのだけは嫌だった。
とにかく“人と同じ”でなければ良かった。
俺達の武器はギターだったり、ラケットだった。
その武器を持ってしばらくして、俺達は自分の足で立っている事に気付いたんだ。
今じゃその武器を手放した奴も多い。
錆びた弦に伸びきったストリング。
勿論今でも弦やストリングを張替えている奴もいる。
いずれにせよ、たまにちょいと集まってそいつらを手に取った時、俺等は凛として、次の瞬間には腹の底から大笑いする。
いいだろ?この感じ。
外は土砂降り。
親父の通夜もとんでもない土砂降りだったな。
今から通夜の親父さんは享年75歳。
それもウチの親父と同じだ。
親父達は、(自分が最高!)そしてすぐに(自分は最低だ…)と一喜一憂していた向こう見ずで馬鹿な俺等を叱りもせず容認していてくれた。
まあ皆は知らんが俺は、最高!最低…と一喜一憂するのは今も相変わらずで、これからも変りそうにない。
よちよち歩きのガキが武器を手に取って、世間っていう敵に切り込んで行くのを口うるさいお袋達を黙らせながら、笑って見てくれていたであろう親父達に乾杯!
そして合掌。
2005.9.4
Tachikawa
坂東 海
Scene 80
[真夏の葬列]
今からこの夏二回目の友人の親父さんの葬儀に行く。
去年は七月に二人の男を見送った。
“真夏の葬列”という言葉がふと浮かぶ。
北方謙三の小説のタイトル。
自分をフラットにしたい時、北方謙三の[檻]、ロバート・B・パーカーの[初秋]を読んだり、デ・ニーロの[タクシー・ドライバー]、M・ディロンの[アウトサイダー]を観る事が多い。
今夜は[真夏の葬列]を引っ張り出して読もう。
「いい学校に入って、いい会社に入って」の時代に育った俺等は、流れに身を任せて行くのだけは嫌だった。
とにかく“人と同じ”でなければ良かった。
俺達の武器はギターだったり、ラケットだった。
その武器を持ってしばらくして、俺達は自分の足で立っている事に気付いたんだ。
今じゃその武器を手放した奴も多い。
錆びた弦に伸びきったストリング。
勿論今でも弦やストリングを張替えている奴もいる。
いずれにせよ、たまにちょいと集まってそいつらを手に取った時、俺等は凛として、次の瞬間には腹の底から大笑いする。
いいだろ?この感じ。
外は土砂降り。
親父の通夜もとんでもない土砂降りだったな。
今から通夜の親父さんは享年75歳。
それもウチの親父と同じだ。
親父達は、(自分が最高!)そしてすぐに(自分は最低だ…)と一喜一憂していた向こう見ずで馬鹿な俺等を叱りもせず容認していてくれた。
まあ皆は知らんが俺は、最高!最低…と一喜一憂するのは今も相変わらずで、これからも変りそうにない。
よちよち歩きのガキが武器を手に取って、世間っていう敵に切り込んで行くのを口うるさいお袋達を黙らせながら、笑って見てくれていたであろう親父達に乾杯!
そして合掌。
2005.9.4
Tachikawa
2005年09月01日
Scene 79 [egoist]
[Another Side of Tennis]
坂東 海
Scene 79
[egoist]
「えっ、でも…」
レッスン後のミーティング。
不満げに口ごもっているのは、最近採用したばかりのアルバイトコーチ。
(ろくにテニスも出来ないくせに…)とは考えず、(このままじゃどの世界に行っても、うざったがられるだけだからなあ)と、彼が頷きやすい様にさっきのレッスンの話を進め、最後は軽く説教。
「えっ、僕そんな態度に見えましたか?」
異動でいくつかのクラブを観て来たけど、どこでもいつでもこの手の奴はいる。
一番酷かったのは、人手が足りない時間に入れるから重宝されている事を自分が能力があると勘違いしてた奴。
そいつは俗に言うフリーコーチだったが、「某スクールはもっと支給品がある」みたいな話を他のコーチに話して、体制を批判する自分に酔い、皆が頷く事で自尊心を充たす哀れな奴だった。
ちょっと雨が降ると「こんなんでやるんですか…」と文句を言い、雨中止が多くて給料が少ないと「ここは給料が安い」と文句言ってたりもしてたなあ。
大体このタイプは、自分にとって都合の良い悪いが、物事の良い悪いの判断基準になっている事に気付いていない。
条件が合わないなら辞めればいいと俺は考えてる。
勿論、もっといい条件でと考えるのも、闘うのも正しい。
でも自分が、まだ相手が勝手にいい条件を出して来る様なレベルでないと考えるのがもっと正しくないか?
俺達は上手く飼いならされた犬でも、丸く太っちまった豚でもなく、プロ、専門職なんだから。
まあ手っ取り早いのは、自分が条件を出す側になる事だ。
殆どの奴がまずは量で必要とされる。
それを質に転化して行けないで、量のみで必要とされたまま、勤務日数、レッスン数だけがキャリアになってる被害者意識の塊の奴等は本当に惨めだ。
俺は才能があったからやって来れたのもあるが、他人が苦しい、嫌だと思う事を何とも感じないのが今思えば武器の様な気もする。
体温並みに熱い炎天下、きつい要求…ドーパミンたっぷりにクリアして来たんだろう。
こう傲慢に言いながら、心の中でのたうちまわる夜が多いのも確かだけど。
「雨降りそうっすよ」
アルバイトが不安そうに言って来る。
居合わせたスタッフに
「レッスンが中止になるとは思うなよ。気持ちが切れるといいレッスン出来ないからな」
と声をかける。
皆頷いて又レッスンのシュミレーションを始める。
さっきは口ごたえしてたあいつも、コート図に配列を書き込んで考えてる。
何だかんだ言って皆真面目だ。
こんな俺について来てくれて感謝するよ。
「おしっ!行くぞ!次もいいレッスンしようぜ!」
2005.8.24
Yoyogi
坂東 海
Scene 79
[egoist]
「えっ、でも…」
レッスン後のミーティング。
不満げに口ごもっているのは、最近採用したばかりのアルバイトコーチ。
(ろくにテニスも出来ないくせに…)とは考えず、(このままじゃどの世界に行っても、うざったがられるだけだからなあ)と、彼が頷きやすい様にさっきのレッスンの話を進め、最後は軽く説教。
「えっ、僕そんな態度に見えましたか?」
異動でいくつかのクラブを観て来たけど、どこでもいつでもこの手の奴はいる。
一番酷かったのは、人手が足りない時間に入れるから重宝されている事を自分が能力があると勘違いしてた奴。
そいつは俗に言うフリーコーチだったが、「某スクールはもっと支給品がある」みたいな話を他のコーチに話して、体制を批判する自分に酔い、皆が頷く事で自尊心を充たす哀れな奴だった。
ちょっと雨が降ると「こんなんでやるんですか…」と文句を言い、雨中止が多くて給料が少ないと「ここは給料が安い」と文句言ってたりもしてたなあ。
大体このタイプは、自分にとって都合の良い悪いが、物事の良い悪いの判断基準になっている事に気付いていない。
条件が合わないなら辞めればいいと俺は考えてる。
勿論、もっといい条件でと考えるのも、闘うのも正しい。
でも自分が、まだ相手が勝手にいい条件を出して来る様なレベルでないと考えるのがもっと正しくないか?
俺達は上手く飼いならされた犬でも、丸く太っちまった豚でもなく、プロ、専門職なんだから。
まあ手っ取り早いのは、自分が条件を出す側になる事だ。
殆どの奴がまずは量で必要とされる。
それを質に転化して行けないで、量のみで必要とされたまま、勤務日数、レッスン数だけがキャリアになってる被害者意識の塊の奴等は本当に惨めだ。
俺は才能があったからやって来れたのもあるが、他人が苦しい、嫌だと思う事を何とも感じないのが今思えば武器の様な気もする。
体温並みに熱い炎天下、きつい要求…ドーパミンたっぷりにクリアして来たんだろう。
こう傲慢に言いながら、心の中でのたうちまわる夜が多いのも確かだけど。
「雨降りそうっすよ」
アルバイトが不安そうに言って来る。
居合わせたスタッフに
「レッスンが中止になるとは思うなよ。気持ちが切れるといいレッスン出来ないからな」
と声をかける。
皆頷いて又レッスンのシュミレーションを始める。
さっきは口ごたえしてたあいつも、コート図に配列を書き込んで考えてる。
何だかんだ言って皆真面目だ。
こんな俺について来てくれて感謝するよ。
「おしっ!行くぞ!次もいいレッスンしようぜ!」
2005.8.24
Yoyogi