2004年09月23日
Scene 30 [Beetles≠Beatles]
[Another Side of Tennis]
坂東 海
Scene 30
[Beetles≠Beatles]
テニスは嫌いだった。
って言うかバカにしてた。
白いフリフリの付いたウェアの女、やたら白い歯の男がニコニコやるもんだと思ってた。
要するに女々しいスポーツだと思っていたんだ。
小学校では当り前の様に少年野球をやった。
チーム名は[Beetles]。
監督から「バンドのビートルズはスペルが違う」と教えてもらったけど良くわからなかった。
ウチから歩いて30秒の所に読売新聞の配達所があったから新聞は読売新聞。
おまけに報知新聞も取ってた。
当然巨人ファンで後楽園まで長嶋・王を観に行った。
テニスは公園で三角ベースをやる時に、落っこってた硬式テニスのボールを「毛ボール」と呼んで使ってた程度の認識だった。
ただ、少年野球の練習が終ると「帰ってワールドビッグテニス観ようぜ!」が合言葉だったのも覚えてる。
そして今夜1982.11.3福岡サンパレス。
「俺達は時々、興奮してネ、時々喜び過ぎて、はしゃぎ過ぎて、悲しみに浸り過ぎて、時々その何かってやつを忘れそうになる。それで、若かった頃、真剣に泣いたり、怒ったり、喜んだりしてたのを懐かしがってネ、いつの頃からか、振りかえりはじめたりする訳です。俺は真っぴらだからネ。28になろうが、29になろうが、30になろうが……目一杯、怒って、泣いてネ、あんな風に純潔にいっときたい。どうも俺が昔からの好きなのは、ギャングとか悪党ばっかりで…やっぱり、マーロン・ブロンドが好きで、ジョン・マッケンローが大好きでネ。目一杯、自分の1番深い大事な気持ちの奥底の部分を、目一杯ぶっつけて、怒ってネ、泣いて笑って、全部出して……生きたいと思うし……。だから俺は今夜を忘れないしネ。」
甲斐ってマッケンロー好きなんだ。
親不孝通りの呑み屋でダチと呑みながら独り考えてる。
去年花園ラグビー場で暴動寸前のLiveをやったりしてたから、ああ言う男臭いスポーツが好きだと思ってたんだよなあ。
でもお行儀のいいテニス界で暴れてるマッケンローを好きなのもわかるなあ。
そっかあ、テニスかあ。
Beetlesだった俺達は毎週日曜の[ワールドビッグテニス]に何で夢中だったんだろう。
海外のスポーツ中継なんて野球でさえ満足に観れなかった時代だったから?
あの頃俺達はエースで四番だった長畑の真似を良くしてた。
少年野球の練習をしてた学校の隣が長畑の家で、奴が「テニス凄いんだぜ!」と言いながら[ワールドビッグテニス]を観せてくれた気もする。
才能のある奴は世間のイメージなんて関係なく自分の本能、嗅覚で本物に辿り着くって事なのか。
よし、テニスやるぞ!
中学でテニス部に入ったダチをバカにしたけど、それは過去だ。
変に色気づいて、男らしさって奴を取り違えてただけだ。
何て言ったって俺は小学校の時に[ワールドビッグテニス]を毎週観てたんだ。
今テニスをやってるそこいらの奴等とは根本的に違うはずだ!
俺はミーハーじゃあない!
小学校から世界のプレーを観てたんだ!
まずはタッキーニのウェア買いに行くけんね!
1982.11.3
Tenjin※The Beatles(1962~1970)
全世界に衝撃を与え、未だに影響を与え続けてるバンド。
1980年John Lennonが凶弾に倒れ再結成は事実上不可能となる。
2000年「John Lennon Museum」さいたまスーパーアリーナにオープン。
※World Big Tennis(?)
1970年代、1980年代に明治屋、シンガポール航空提供でTV東京にて放送。
毎週世界の試合を紹介したオールドテニスファンなら一度は観てる番組。
藤吉次郎アナウンサーの名調子も忘れられない。
※Marlon Brando(1924~)
リアリティ溢れる演技、口篭った様に喋る個性的演技で一世を風靡。
代表作「欲望という名の電車」「波止場」「ゴッドファーザー」 。
「ゴッドファーザー」ではアカデミー賞受賞拒否等トラブルメーカーでもある。
※John McENROE(1959~)
1979年U.S.Open初優勝、1981年ウィンブルドン初優勝。
グランドスラム大会シングルス通算7回、ダブルス8回優勝。
天才的なタッチと共にストレートな感情表現が評判になり「悪童」と呼ばれた。
※甲斐よしひろ(1953~)
甲斐バンドで「HERO」「安奈」といったBig Hitを飛ばし、桜井和寿(Mr.Children)、トータス松本(ウルフルズ)などに影響を及ぼす。
今年デビュー30周年でAlbum発表、30周年にちなんだ3時間30曲のSpecial Tour敢行中。
文中のMCは[BEATNIK 1981-1986]より引用。
坂東 海
Scene 30
[Beetles≠Beatles]
テニスは嫌いだった。
って言うかバカにしてた。
白いフリフリの付いたウェアの女、やたら白い歯の男がニコニコやるもんだと思ってた。
要するに女々しいスポーツだと思っていたんだ。
小学校では当り前の様に少年野球をやった。
チーム名は[Beetles]。
監督から「バンドのビートルズはスペルが違う」と教えてもらったけど良くわからなかった。
ウチから歩いて30秒の所に読売新聞の配達所があったから新聞は読売新聞。
おまけに報知新聞も取ってた。
当然巨人ファンで後楽園まで長嶋・王を観に行った。
テニスは公園で三角ベースをやる時に、落っこってた硬式テニスのボールを「毛ボール」と呼んで使ってた程度の認識だった。
ただ、少年野球の練習が終ると「帰ってワールドビッグテニス観ようぜ!」が合言葉だったのも覚えてる。
そして今夜1982.11.3福岡サンパレス。
「俺達は時々、興奮してネ、時々喜び過ぎて、はしゃぎ過ぎて、悲しみに浸り過ぎて、時々その何かってやつを忘れそうになる。それで、若かった頃、真剣に泣いたり、怒ったり、喜んだりしてたのを懐かしがってネ、いつの頃からか、振りかえりはじめたりする訳です。俺は真っぴらだからネ。28になろうが、29になろうが、30になろうが……目一杯、怒って、泣いてネ、あんな風に純潔にいっときたい。どうも俺が昔からの好きなのは、ギャングとか悪党ばっかりで…やっぱり、マーロン・ブロンドが好きで、ジョン・マッケンローが大好きでネ。目一杯、自分の1番深い大事な気持ちの奥底の部分を、目一杯ぶっつけて、怒ってネ、泣いて笑って、全部出して……生きたいと思うし……。だから俺は今夜を忘れないしネ。」
甲斐ってマッケンロー好きなんだ。
親不孝通りの呑み屋でダチと呑みながら独り考えてる。
去年花園ラグビー場で暴動寸前のLiveをやったりしてたから、ああ言う男臭いスポーツが好きだと思ってたんだよなあ。
でもお行儀のいいテニス界で暴れてるマッケンローを好きなのもわかるなあ。
そっかあ、テニスかあ。
Beetlesだった俺達は毎週日曜の[ワールドビッグテニス]に何で夢中だったんだろう。
海外のスポーツ中継なんて野球でさえ満足に観れなかった時代だったから?
あの頃俺達はエースで四番だった長畑の真似を良くしてた。
少年野球の練習をしてた学校の隣が長畑の家で、奴が「テニス凄いんだぜ!」と言いながら[ワールドビッグテニス]を観せてくれた気もする。
才能のある奴は世間のイメージなんて関係なく自分の本能、嗅覚で本物に辿り着くって事なのか。
よし、テニスやるぞ!
中学でテニス部に入ったダチをバカにしたけど、それは過去だ。
変に色気づいて、男らしさって奴を取り違えてただけだ。
何て言ったって俺は小学校の時に[ワールドビッグテニス]を毎週観てたんだ。
今テニスをやってるそこいらの奴等とは根本的に違うはずだ!
俺はミーハーじゃあない!
小学校から世界のプレーを観てたんだ!
まずはタッキーニのウェア買いに行くけんね!
1982.11.3
Tenjin※The Beatles(1962~1970)
全世界に衝撃を与え、未だに影響を与え続けてるバンド。
1980年John Lennonが凶弾に倒れ再結成は事実上不可能となる。
2000年「John Lennon Museum」さいたまスーパーアリーナにオープン。
※World Big Tennis(?)
1970年代、1980年代に明治屋、シンガポール航空提供でTV東京にて放送。
毎週世界の試合を紹介したオールドテニスファンなら一度は観てる番組。
藤吉次郎アナウンサーの名調子も忘れられない。
※Marlon Brando(1924~)
リアリティ溢れる演技、口篭った様に喋る個性的演技で一世を風靡。
代表作「欲望という名の電車」「波止場」「ゴッドファーザー」 。
「ゴッドファーザー」ではアカデミー賞受賞拒否等トラブルメーカーでもある。
※John McENROE(1959~)
1979年U.S.Open初優勝、1981年ウィンブルドン初優勝。
グランドスラム大会シングルス通算7回、ダブルス8回優勝。
天才的なタッチと共にストレートな感情表現が評判になり「悪童」と呼ばれた。
※甲斐よしひろ(1953~)
甲斐バンドで「HERO」「安奈」といったBig Hitを飛ばし、桜井和寿(Mr.Children)、トータス松本(ウルフルズ)などに影響を及ぼす。
今年デビュー30周年でAlbum発表、30周年にちなんだ3時間30曲のSpecial Tour敢行中。
文中のMCは[BEATNIK 1981-1986]より引用。
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